<9月20日(水)>

「林えいだい記念ありらん文庫資料室」を訪問しました。主宰は森川登美江さん(大分大学名誉教授)。

 林えいだい(19332017)さんは、福岡県筑豊地方を拠点に朝鮮人強制連行や公害問題などを徹底した聞き取り調査で著した記録作家です。林さんは田川市に私設資料館「ありらん文庫」を開設し、一方で精力的に執筆をつづけていたそうです。

「林さんがありらん文庫を開設してことを新聞で知って、すぐに訪ねました」という森川さんは、以降、林さんを支え、亡くなられるまで深く親交を結んだといいます。生前からの約束で、林さんの全蔵書・資料・版権を受け継ぎ、森川さんは、20182月、自社ビル(福岡市中央区梅光園)にそれらを移し、運営されています。これからやはり筑豊の研究者の方の資料が入ることになり、部屋は整備・整理を待っているところでした。

新たに開設したありらん文庫では、林さんや森川さんの活動に共感する人々が集まるようになり、月に一回の読書会が定例化しています。多いときは30人もの参加がある中で、自然に「次はわたしが発表したい」と手を挙げる人が出てきて、「とても活発ですし、平和講座にもなっています」とのこと。サゴリの今後に多くの示唆をいただきました、

森川さんは78歳。70歳の時に「福岡アジア文化センター」(アジア工芸品販売も)を始め、「ありらん文庫」を引き継いだことでアジアと林えいだいさんが共鳴しあっている空間でした。森川さんの専門は中国文学ですが、ある時から「アジア学」を担当することになり、アジア各国を訪れているうちに工芸品が増えていったそうです。

わたしも70歳の時に加納さんの全蔵書を引き受けたことを思い出し、個人から「全仕事」を引き受けたこと、70歳からの出発であったことなど、資料室の背景に共通点があり、まだまだ頑張りましょう!と握手して「ありらん文庫」をあとにしました。帰途わたしの足取りが軽くなっていたのは言うまでもありません。

 

【記録作家・林えいだい記念・ありらん文庫資料室】

810-0035 福岡市中央区梅光園2丁目23-16 東洋企画ビル2F.3F

℡&fax 092-406-8609

 

Web:http://Arirang-bunko.com/

9.8 Weフォーラムオンライン講座「ジェンダーな街・広島を問う」

「記憶(被害)の女性化」は広島に何をもたらしたのか

 

●年代的にも、高雄さんの問題意識と重なる点が多く、共感しながら拝聴していました。 広島をジェンダー視点で見ると、異なった景色が浮かんでくるということに異論はありません。植民地からの視点も同様です。社会構造を、多くの重層化された問題の結果として分析し直すことの繰り返しが、歴史の再構築に繋がっていくのだと思います。「あいだ」のニュアンスとは少し異なりますが。 ジェンダー・民族に加え、階級(資本主義)の視点を加えると、さらに多様で精緻な分析になるのではないかと思いました。ささやかな感想です。

●素晴らしかったです。栗原貞子の「うましめんかな」の詩は知っていたのですが女の自立の苦しみを描いた詩をもっと知りたいと思いました。栗原貞子によるフェミニスト的な個の尊重とやましろ巴の反戦を集団意識として持つことの意義の対比がとても興味深かったです。今起こりつつある戦争を止めるために己の被害と加害を語り継ぐ態度を持ちたいです。加納実紀代資料館にも行きたいです。

密度の濃い講演でした。Weのフォーラムで広島に行った時も、自分がこれまで何も知らなかったんだと思ったのですが、今回はあまりにも「知らなかった!」ことに愕然としました。 特に、女性の加害性、戦争を支える日常の暴力、という課題は自分の胸にささりました。

●サゴリ開設の話は聞いていましたが、主宰者の高雄きくえさんについては、まったく存じ上げず今回初めてお話をうかがえ、幸いでした。どう生きるかの探求の中で、仕事も家族とのつきあい方も自分なりの道を歩まれてきたことに、感服しました。「友だち介護」という言葉は私にとってはとても新鮮でした。今後この言葉が一般化していくといいなと思います。その果実として、中村隆子さんの遺産をサゴリ開設に活かせたのも、素晴らしい。「70代でやるのはこれ!と閃いた」と決断されたのも、それまでの人生あっての潔さと感じました。 山代巴と栗原貞子を比較しつつ検討するという視点も、とても興味深かったです。紹介してくださった記事や図書、今後ゆっくり読んでいきます。ありがとうございました。後日配信は途中で止めたり、戻したりしながら、きちんと内容を確認しながら視聴できるので、非常にありがたいです。

●たくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。私も、栗原貞子さんは広島のこと、そして加害のことをうたった詩人という認識でしたが、フェミニストとして女の自立について考え、うたった人であったことを初めて知り、目からウロコでした。「おわりに」で話された「記憶の女性化」の何が問題か、という提起について、じっくり考えていきたいと思います(全部書き留められなかったので、アーカイブがあることよかったです)。私は東京在住ですが、サゴリにぜひ行きたいと思っています。余談ですが、私も編集者なので、高雄さんの編集という仕事への想いも、興味深く聞かせていただきました。
●短い時間の中で中味の濃いお話をありがとうございました。「誰と何と出会い損ねているのかいま一度歴史から学び直し、現在を問い続けること」という言葉が沁みました。今回のオンラインフォーラムのテーマの1つに「戦争を語る」があります。研究者でもなく専門家でもないけれど、意志を曲げずに訴えておられる人、出会ったことが人生の核になった人、そういう方々の歴史、今回の高雄さんの活動の歴史、それらから学ぶことがたくさんあると思いました。「考えること」を止めてはいけないなと自
分に言い聞かせています。

<8月12日>

 みなさま

 

  こんにちは。加納実紀代の孫の加納土と申します。

加納実紀代の3番目の子ども、穂子のそのまた子どもということになります。今は祖母が亡くなるまで住んでいた川崎の生田の家に一人で住んでいます。

 『越えられなかった海峡 女性飛行士・朴敬元の生涯』を献本させていただくみなさまにご報告があり、家族を代表して一筆書かせていただきます。

 まず初めに『越えられなかった海峡』の発売おめでとうございます。多くの方に読んでいただけ たらいいなと思いますし、新装版を一読者としてこれから読むことができるのが楽しみです。

 さて、もうご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが加納実紀代の全蔵書・研究資料を中心とした資料室が広島に誕生し、今年の3月にはめでたく仮オープンパーティーも開かれました。資料室の詳しい情報については、同封のリーフレットをご覧ください。また出来立てほやほやのHPもありますのでそちらも是非です。(「サゴリ 加納実紀 代」と検索すると出てきます。)

 資料室の主宰であるひろしま女性学研究所の高雄きくえさんにこの場をお借りして改めて資料室 の完成のお祝いの言葉と感謝をお伝えしたいと思います。ありがとうございました、そしておめでとうございます。

 高雄さんの他にも広島で有志のたくさんの方が関わって形になってきたかと思います。大量の蔵書を運び、本を綺麗にし、ラベリングする一つ一つの作業に携わってこられた皆さんにも名前は全て挙げられませんが感謝いたします。資料室全体で本、雑誌が10,000冊、ファイル化された資料も1000点ほどとのことで、生田、箱根からダンボールを運んだ運送業者さんも大変だったかと思います・・笑 クロネコヤマトにも感謝です。

 そしてそもそも、祖母が亡くなった際、上野千鶴子さんが蔵書を引き受けてくださる方を色々 探してくださり、結果的に蔵書が高雄さんと幸運な出会いをできることとなりました。祖母は自らの死後に蔵書をどうするかということは残念ながらなのか、そりゃそうだろうななのか分からないけれど、気にはしていたが具体的な道筋をつけることはなかったと思います。家族の中では死後、膨大な資料を前に困惑・呆然・思考停止状況でした笑  助けの手をくださり、どうもありがとうございました。

 また、家族一同その価値も分かりきっていなかったホコリを被った資料なども深田卓さんや池川玲子さんには度々生田の家に来てもらい色々とご教示いただき、人と人をつなげていただきました。ありがとうございました。

 資料室の名前は、韓国語で交差点を意味する「サゴリ」となりました。たくさんの方が、加納実紀代の思考・研究をきっかけに交差し、そしてそれぞれに広がっていく場となるよう名付けられたそうです。サゴリがこうやって無事完成されたこと自体も、家族も含めて、たくさんの方が関わり交差していく中でできたものと思います。それぞれに改めて感謝いたします。

 私自身も、生前はうまく祖母と交流することができずもっと話をしたかったなという思いはあり ました。しかしコロナ禍、箱根で一人こもって蔵書のリスト化をしたり、祖母が亡くなり私一人 で暮らしている生田での生活をするうちに、みんば(と私は彼女のことを呼んでいました)と少し出会い直せた気がします。交差点の中に私も入ることができてよかったです。

 広島駅を望む山の中腹にあるサゴリは景色もよく気持ちの良い場所です。ここから始まり、つながることがきっとまだあると思います。ぜひみなさまも広島に行かれた際は何度だってお立ち寄りください。長くなりましたが、家族一同からの言葉として、お手紙を挿入させていただきました。みなさまどうかお身体お気をつけください。またどこかでお会いできるのを楽しみにしています。

 

                      2023615   加納 土 /麦子 //穂子

<7月30日(日)>

加納さんは2002年、新潟県新発田市にある敬和学園大学に特任教授として赴任されました。着任して間もなく、敬和学園大学の専門分野の違う同僚に呼びかけて「戦争とジェンダー表象研究会」を組織、2008年同研究会編『軍事主義とジェンダー 第二次世界大戦期と現在』(インパクト出版会)としてその成果が歓呼されています。

また、2005年に開催された「全国女性史研究交流のつどい」や新潟女性史クラブ(1973年~)との交流、新潟県満洲開拓慰霊団に参加するなど、新潟の地域と深く結びついた活動をされています。私が加納さんの箱根別荘を訪ねるとき、たいてい新潟の加納ファンから届いた野菜や日本酒をいただいたことは忘れていません。新潟が近くなった気分でした。

2011年の敬和学園大学退官の最終講義は「カッチャンはなぜ死んだか ヒロシマから考

える日本近代」でした。「カッちゃん」は加納さんがご自分の被爆を語られるときに「みっちゃん」とともに必ず登場します。そのお話の現場である太鼓橋(鶴羽根神社)は、このサゴリのある二葉山の麓にあり、毎日私はその前を車で通ります。

 

 そんなゆかりの深い新潟・新潟日報社からの取材でした。72787日までの恒例広島市主催ジャーナリスト講座の研修に来ているという若手記者。「もうひとつの広島」を、扇風機だけで過ごせる森の中、熱く語ってしましました!

<2023年7月22日>

「図書新聞」の常連回答者を務めていらっしゃる川本隆史さん(広島在住、東京大学&東北大学名誉教授さんが、書評紙の「上半期読書アンケート」のトップに、『広島 爆心都市からあいだの都市へ』を推挙してくださいました(2023722日発売号)。こうした応援はほんとにありがたいことです。広島についての議論に本書が貢献できることたくさんあると思います。広島という磁場に確実に浸透することを願うばかりです。

 

今年の「86」の日々はどのような「熱さ」を体験することになるのでしょうか。その日、大阪からの来室予定が入っています。「サゴリ」となりますように。

<2023年710日(月)>

 

下記『越えられなかった海峡』執筆のための資料、段ボール2個がインパクト出版会・深田さんから届きました。加納さんが朴敬元の出生地・大邱や釜山、ソウルに取材に行った時のたくさんの写真、また、加納さんの手書き情報記入カードや貴重な参考資料など、貴重かつ興味深い研究資料です。これもデータ化し、整備したうえで公開します。


 

<2023年620日(火)>

今年6月、1994年時事通信社から出版された「加納の仕事としてはきわめて異質なものである」(池川玲子解説)という『越えられなかった海峡 女性飛行士・朴敬元の生涯』がインパクト出版会から復刊されました。

加納は生前、事実の間違いや誤植を記載した訂正原本をもとにした復刊を希望していましたが、その訂正原本が加納実紀代資料室サゴリ開室前に発見され、無事刊行の運びとなったようです。

解説は池川玲子さん(日本近現代女性史)。加納さんがジグゾーパズルの愛好者であったことから「歴史パズラー」と名づけたうえで、加納さんの歴史家としての仕事をたどっています。加納さんの想像力と飛翔力を感じさせる一冊です。

 

 当資料室でも販売しています。定価3300円です。メールか電話でお申し込みください。


<2023年6月10日(土)>

 長崎の「岡まさはる記念長崎平和資料館」のボランティアをしていらっしゃるMさんの来室がありました。福岡から3人で数日長崎に滞在し、定期的に資料館の整備をしていらっしゃるとか。このような人々を惹きつける「岡まさはる資料館」から学ぶことがたくさんありそうです。Mさんの「本が気持ちよく息づいていますね」という言葉がうれしくて、一日中機嫌よく過ごせました。 (高雄)

 

5月13~14日、反G7集会と翌日のデモに参加された高里鈴代さん(後列左から3人目)ら10名の訪問がありました。

高里さんは、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の共同代表です。